- 学生の頃は勉強すればいい大学に入ることができる。
- いい大学に入ることができればいい会社に入ることができる。
上記のことが正しいと思っている人は、ラットレースを走らされている可能性が高い。
仕事も勉強も頑張っているのにいつまで経っても報われない気がする。
そんな方に向けて「金持ち父さん、貧乏父さん」という本を紹介する。
親の言われた通りに生きてきた人生
私の場合は田舎育ちだったため、周囲にエリート会社員という肩書を持った人は少なかった。
お金持ちといえば医師か田舎唯一の大企業の会社員、もしくは教師や県庁に勤める公務員にあたる人がお金持ちと言われていた。
そんな環境で育ったので、親からは資格を取得して、いわゆる士業に就くようにしつこく言われていた。
親の言うとおりに専門の大学に通い、大学卒業後は無事にその資格を取得したまでである。
親も共働きで休みも少なく、GWや年末年始は仕事があって連休を取ることは珍しかった。
親も仕事で辛い思いをしてギリギリの状態で働いていた時もあったと思う。家は常にめちゃくちゃに散らかって荒れていた。実家の風呂はカビだらけだった。
でも親は親なりに考えて、なんとか子供には自分のような辛い思いをさせたくない。
その一心で私に資格を取るように言い聞かせていたのだろう。
しかし、私は社会人1年目で会社を辞めたくなった。
また朝起きて、仕事に行き、請求書を支払う、…この繰り返しだ。そのあとの彼らの人生は恐怖と欲望という2つの感情に走らされ続ける。
金持ち父さん貧乏父さん
すごく辞めたかったが、新卒1年目では仕事を辞める決断ができなかった。
その時は東京で一人暮らしをしていて、毎月の家賃が8万円であった。仕事を辞めてしまうと家賃を払うことができないと不安になり転職するか1年以上悩んだ。
お金が尽きることが恐怖で会社を辞められなかったのだ。
当たり前だが辞めたい気持ちで毎日仕事をしても何も楽しくない。
本当に無駄な1年だったと思う。
生きているだけなのに人生が辛い理由
親の言われたとおりに資格を取得して士業に就いた訳であるが、社会人1年目で仕事を辞めたくなった。あまり幸せではなかったからだと思う。
親よりも給料は少しばかり良いのかもしれないが、もっとお金が欲しいと思ってしまった。そして将来自分に子供ができたら、子供には自分と同じ資格ではなく、もっと上級の資格をとって欲しいと思ってしまった。
このようにラットレースは永遠に続くのではないかと思った次第である。
自分の人生より子供にはもっと上の人生を目指して欲しいと思う。
一体、誰と競走しているのだろう?
誰とも競走しているわけでもないのに、上を目指そうと思ってしまう。
もしかして、それはあなたが幸せではないから?
幼い時からラットレースを走っている
幼稚園の頃から始まる受験戦争、学校で部活に入ったら部活の中でも競走、お稽古をしていたらその中でも競走。スポーツから芸術まで何でも待ち受けているのは大会やコンクールなどの競争である。
何かを始めたら自動的に競争ついてくるシステムになっている。
大人になったら、
- 婚活競走
- ブランド物、派手な旅行、家、車の所有
確かに結婚に向く”いい人”は30歳を迎える頃にごっそり減っていく印象である。早い者勝ちなところは否定できない。
仕事も勉強もプライベートも頑張らなければいけない。何でもかんでも競争である。
他人からの目を気にする社会
社会人になるとこれまた競争社会である。会社での評価が給与に影響するからだ。
ボーナス算定時期の前には評価の面談が実施され、この1年でやってきたことを上司にアピールする。年収1000万円越えのエリートサラリーマンも同じである。
仕事の成績で給与序列を決められて、同じ仕事をしている同期と給与に差がつけられる。
給与に差がつくのだから、働いている人は周囲の目を気にして仕事をしなければならない。
頑張っている印象を周囲につけるために過剰な労働が発生するのも仕方がない。
しかし、こうして会社員はラットレースの歯車の一部となり一生懸命に働くのだが、その利益はその会社の株主(資本家)に還元されるのである。
なんだか頑張っていても報われないのはラットレースを走っているからではないかと思う。
文句を言っているだけではラットレースから降りられない
人を薄給で長時間労働で働かせて得をするのは、資本家である。
最初の頃は資本家が腹立たしく思ったが、人を薄給で長時間働かせることは、別に間違ったことではないことも学んだ。
会社は人の雇用を守らなければならないので、業績が落ちた時も雇用を維持しなければならない。そのために人が辞めないギリギリの給与のところで働かせることは何も悪くはない。
そう文句を言っているだけでは人生は変わらないんだ。
そのような資本主義の原則の中で「自分がどう生きるのか」を選択することが重要だということである。
ラットレースを走っていないか生活を見直す
今、自分がラットレースを走っていないか確認するために、
・笑顔で生活できているか?
ということを振り返って考えてみよう。
あなたが行なっているその仕事や勉強で”あなた”は笑顔になっているのか?
もし答えがNoであればそれはラットレースを走っている可能性が高い。
社会人2年目になって、仕事に行きたくない日が増えた。上司から嫌味を言われても歯を食いしばって耐えていた。嫌味を言われた日は、コンビニに走って仕事中にもかかわらずチョコレート菓子を口の中に放り込んでいた。それも無意識だった。
最終的には虫歯になって歯の神経を抜くことになった。痛みが続いていたのにも関わらず、なぜか放置してしまった。
歯医者では「甘いものの食べ過ぎ」「生活を見直してください」と言われた。
こんなに頑張っているのに、生活を批判された気がして涙が止まらなかったのは、冷静に考えて異常だった。
虫歯になったことがきっかけで、ようやく仕事を辞めようと決心がついた。
一発逆転を夢見ていないか
入社2年で新卒の会社を辞めることを決断したが、この時は本当に悔しかった。
会社でメンタルを削られていたので自分はダメだと自己肯定感が下がってしまっていた。なんで私はこの会社で働けないんだろう?と。
それならば、年収の高い企業に転職してさっさと稼ごうと考えたのだ。
転職活動をするとすぐに内定をもらえたので1社目よりも年収の高い会社に入社したのだが、結局2社目は4ヶ月で辞めてしまうことになった。
当たり前のことであるが、年収が高いから、前の会社より仕事量が多くてきつかったからだ。
- 転職で年収UP。
- 宝くじで一発逆転。
- 整形で違う人生を送りたい。
- 資格を取って今よりもいい仕事に就く。
以上のような行動で、何か一発逆転を夢見ているのであれば、そもそもの考え方を見直したほうがいいと思う。
おそらく行動しても幸せな未来は手に入れられない。
まとめ
- いい大学に入っていい仕事に就くことはラットレースである。
- 勉強や仕事を頑張っているのに報われないのはラットレースを走っているから。
- ラットレースについて周囲に文句を言っても何も変わらない。
- 人生を変える一発逆転の方法はない。
反省の意を込めてつらつら自分の話をしてきたが、私は今も雇われ人であるため、今もラットレースに参加している状態である。
でもこれからは恐怖と欲望に振り回される人生は辞めたいと本気で思っている。人参を目の前に吊るされた馬の如く、お金のために働く人生は嫌だ。
いつになっても楽にはならないし、不満が解消されない。時には、仕事をするのはお金のためだと無理やり自分に言い聞かせていたが自分を騙せなかった。
結局のところ、私は仕事をしたくない、これが本音だ。
仕事が嫌な理由は時間の切り売りだからである。仕事をして疲れるくらいなら寝ていたほうがマシではと思う次第である。
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